2・26事件
昭和陸軍の最大クーデタ
66年前の昭和11年2月26日、雪降りしける帝都において、我が帝國陸軍青年将校、昭和維新の断行を求めて決起、政府・軍の中枢を襲撃制圧せり!!
この日の朝午前5時40分、まだお休みの先帝陛下にむかい、甘露寺侍従長は、我が陸軍クーデター決起の報を上奏したのである。
事件の概要
紀元2596年(昭和11年)2月26日、陸軍の一部皇道派将校に率いられた1400名の兵が首相・陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、朝日新聞社などを襲撃、陸軍省・参謀本部・警視庁などを占拠したことは序章で述べた。
この事件によって斎藤実内府、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、首相官邸でも岡田啓介首相は難を逃れたものの義弟の松尾伝蔵陸軍大佐および警官4人が身代わりになって殺された。
襲撃と占領
この日襲撃された政府機関、その他私邸等を挙げようと思う。
・首相官邸
首相官邸は26日未明、栗原中尉は歩兵第一連隊下士官らの非常呼集を行い、機関銃隊全員を営舎前に整列させ決起の趣旨を告げた。機関銃隊の一部を歩兵中尉丹生誠忠の部隊に配属し、自らは歩兵小尉林八郎、歩兵小尉池田俊彦、対馬らと共に約三百名の部隊を率いて4時半頃営門を出た。部隊は5時10分頃首相官邸に到着してこれを包囲した。部隊を三手に分け、約百名は表非常門の塀を乗り越えて庭園内に進入せしめ、機関銃を据付け日本間に向けて襲撃を開始した。裏門部隊は門口に据付けた機関銃で攻撃した後に屋内に闖入、表門部隊約百数十名は警官詰め所を襲撃(警官4名殉職)、玄関から進入した。異変に気付いた岡田首相は台所に隠れ、誤認された松尾大佐が身代わりとなった。
・高橋是清大蔵大臣私邸
高橋蔵相私邸(赤坂区表町3-10)は歩兵中尉・中橋基明は26日3時頃、近衛歩兵第三連隊第7中隊の兵を「突入隊」と「守備隊控兵」とに分け、同隊付少尉今泉義道を控兵副司令に当て、折柄隊内に来ていた鉄道二連隊付同志・中島莞爾を営内の今泉の許に同行、昭和維新のため決起を慫慂して行動を共にする決心をさせた。4時頃非常呼集を行い、明治神宮参拝の名目で約百二十名の下士官兵を指揮して自ら突入隊となり4時半頃営門を出て、降りしきる雪の中を駆け足で高橋邸へ向かい、5時5分頃門前に到着した。部隊は三隊に分かれ、一隊は邸周囲の要所に備え、一隊は電車通り付近に軽機を据えて交通を遮断、残る一隊数十名が警官の警戒線を突破して屋内に雪崩れ込んだ。事件を急報しようとして電話口にいた書生の受話器を銃床で叩き落として奥の間に突入、二階十畳の間に就寝中の蔵相を殺害して退去した。外に出ると中島は中橋の指示で突入隊を指揮して首相官邸に赴き、今泉は襲撃の間タイ大使館付近で待機していたが、中橋と共に控兵を率いて守衛隊司令官の許に行き、命を受けて坂下門を警戒した後11時勤務交代を命ぜられて帰営した。
・斉藤実内大臣私邸
斉藤内府私邸(四谷区仲町3-44)は歩兵中尉坂井直は約二百名の部隊を率いて、歩兵小尉麦屋清濟、砲兵小尉安田優らと共に中橋部隊と前後して出動、5時頃内府私邸に到着、一隊は同邸を包囲、他の一隊が警官を制止する間に、坂井、安田、歩兵小尉・高橋太郎ら十四名は裏手女中部屋付近の雨戸を破って闖入、各室を捜索するうち二階十畳の寝室で斉藤夫妻を見つけ、その場で内府を殺害、その際身をもって内府を庇おうとした春子夫人の左手に銃創を負わせた。その間約10分、襲撃を終えると喇叭で部隊を集合させ、坂井、麦屋は主力部隊を率いて陸軍省方面に向かった。
・渡辺錠太郎陸軍教育総監私邸
渡邊教育総監私邸(杉並区荻窪2-13)は斉藤内府私邸を襲撃後、主力部隊と分かれた高橋、安田は約三十名の兵を率いて赤坂離宮前に行き用意された軍用トラックで荻窪の総監私邸に向かいました。午前6時頃到着、直ちに表門を破って進入、裏庭に回った一隊は安田を先頭に雨戸を破って階下十畳の間に殺到、すず子夫人の制止を振り切って総監を銃殺、6時半頃退去して陸軍省付近で本隊に合流した。
・鈴木貫太郎侍従長
鈴木侍従長官邸(麹町区三番町2)は歩兵第三連隊の安藤は、3時頃非常呼集を行って全員を営舎前に整列させ、3時半頃約百五十名の部隊を率いて出動、官邸到着後直ちに一隊は裏通りの通用門に回り、一隊は表門を固めて邸外の警戒に当たり、残る一隊は邸内に闖入して銃剣で警戒員を威嚇した後、脇小門から屋内に雪崩れ込み、通用門から進入した一隊と合流、安藤の指揮のもと各所を捜索、寝室で侍従長を発見、直ちに発射、数発の弾を浴びた侍従長はその場に倒れた。安藤は更に止めを刺そうとしましたが孝子夫人の悲痛な懇願で思い止まり、侍従長は一命を取り留めた。安藤部隊は5時半頃引き揚げ三宅坂方面に向かった。
・川島陸軍大臣官邸
陸相官邸(麹町区永田町1-1)では栗原部隊が行動を起こした頃、丹生は歩兵第一連隊の所属中隊に非常呼集を行い、約170名の兵を指揮して、村中、磯部、香田、竹嶌、山本又等と共に午前4時半頃兵営を出発、5時頃官邸に到着、直ちに部隊主力で表門を固め、特定人以外の出入を禁じて香田、村中、磯部、らの陸軍上層部に対する折衝を容易にした。香田、村中、磯部は直ちに陸軍大臣川島大将に面接し香田が一同を代表して「決起趣意書」を朗読すると共に襲撃の状況を説明した後、維新断行のため善処を要望し、また真崎大将、古荘陸軍次官、山下少将、満井歩兵中佐を招致して事態収拾に対処せられるよう要請した。午前10時頃、磯部は陸相官邸玄関で折柄来合わせた片倉歩兵少佐の後頭部に拳銃を発射、少佐は出血多量のため昏倒しましたが、手当の結果辛うじて一命を取り留めた。次いで来邸した山下少将より、軍首脳部において起草した説明文を示されたが、それには従わなかった。
・牧野伯爵宿舎
牧野伸昭伯爵が宿舎は湯河原にある伊藤屋旅館というところである。河野は午前0時40分頃、宇治野軍曹ほか兵1名、及び、民間の同志宮田晃、中島清治、黒田昶、水上源一、綿引正三等を指揮し、軽機を携え2台の自動車で湯河原へ向かい、5時頃到着した。牧野伯が滞在中の伊藤屋旅館貸別荘に向け機関銃を乱射したが、牧野伯が見当たらないため、焼殺しようと同家に放火した。その際、護衛巡査皆川義孝を射殺したほか、付添看護婦・森すず江、及び、消火のため駆けつけた岩本亀三にも銃創を負わせたが、河野も重傷を負って倒れた。牧野伯は脱出して無事でぁった。襲撃隊は河野を支えて衛戍病院熱海分院に行き、逮捕された。河野大尉は入院中自決を図り3月6日朝死亡しました。(航空兵大尉河野寿・独身30才)
・警視庁
警視庁(麹町区外桜田町1)は野中が午前2時頃歩兵第三連隊の所属中隊に非常呼集を行い、常磐稔、清原康平、鈴木金次郎等を加えた約500名の部隊を率いて4時半頃営門を出発、溜池、虎ノ門を経て5時頃警視庁に到着、周囲の道路上に機関銃を配置して出入り口を押さえた。野中は部隊を外に置いて、警備員を通じ責任者との面接を要求し「我々の行動は任務遂行のため警視庁の活動を暫く停止することで、警察官と事を構える為ではない」旨を告げて、直ちに警視庁を占拠した。その内、非常呼集を受けた警官が続々集まったが、警備兵に阻止されて登庁できず、宿直員は外出を禁じられ、電話交換室も占拠されて外部との交通を断たれた。
・朝日新聞社
東京朝日新聞社(麹町区有楽町2-3)は栗原、池田、中橋、中島らの指揮する約50名の兵は午前9時頃、銃に剣を装着して3台の軍用車に分乗、東京朝日新聞社を襲撃、活字ケ−スを倒して一時新聞の発行を不能にした。次いで、東日、時事、国民、報知、電通等の各社を回り、「決起趣意書」を渡して掲載を要求したのち、首相官邸に引き揚げた。
事件収拾へ
226事件件勃発後、川島陸相は午前9時50分参内、事件について委細奏上した。更に、伏見宮軍令部長、朝香宮軍事参議官、東久邇宮軍事参議官を始め真崎、荒木、林、阿部の各大将も参内、本庄侍従武官長を交えて軍の対応につき重大協議が行われた。
後藤総理大臣臨時代理以下は軍とも連絡をとり、事態の応急措置について協議を重ね、陸軍では治安維持のため「戦時警備令」を施行することを決定した。
内務省は、午後9時15分「帝都及び全国地方とも一般治安は維持せられ人心は動揺無く平静なり」と発表した。
27日午前3時半、突然東京市全域に「戒厳令」が公布され、戒厳司令官には東京警備司令官香椎浩平中将が任命された。
そして、前日来遮断されていた警視庁一帯の交通も朝から自由となり、麹町西部の一部地域を除いて、市中はほぼ平常に復した。宮中における閣議は26日以来3日間に及んだ。
閣議に出席して事態収拾に関する各閣僚の意見を聴取した川島陸相は、11時戒厳司令部へ行き軍事参議官、香椎戒厳司令官と対策を協議、更に憲兵司令部で荒木、真崎、両大将と会見後、午後0時50分急ぎ参内した。
28日、市中の警戒が再び厳重となり、丸の内ビル街は午前中で仕事を終え、午後は固く扉を閉ざした。赤坂見附から山王下に至る通りは何か異様な切迫感が漂い、交通は断続的に許可され、夕刻には交通が遮断された。事態は、皇軍相撃つか否かの瀬戸際の様相を示すに至った。
29日、朝から占拠部隊に対する説得が始まった。白紙を貼った戦車が多数の説得ビラを散布し、数機の飛行機が占拠部隊の上に無数のビラを降らせた。田村町の飛行会館屋上からは「勅命下る。軍旗に手向ふな。」と大書したアドバルーンがあげられ、更にラジオによる説得も行われた。
決起部隊は、ビラやラジオで戒厳部隊の行動開始をこの時点で知り、包囲軍の接近を目撃した。決起部隊側は遂に抵抗を断念し、下士官兵に原隊復帰を命じた。
幹部将校達は、全員陸相官邸に集合して協議した。多くの者は自決を決意したが、一部の者はその時期に非ずと主張し、野中を除き一同自決を断念、東京衛戍刑務所に強制収容された。
戒厳司令部は、「首相官邸及び山王ホテルにある極小部隊を除き、反乱部隊の下士官兵の殆ど全部は大なる抵抗をなさず帰順したるを以て、間もなく反乱の沈静を見るに至るべし」と発表した。